
野面積みの石垣の天守台に、唐造の天守が再建されています。
そう、この天守は1959年に小倉市民の強い要望によって
再建されたRC造の復興天守なのであります。

1602年、関ヶ原の戦いの功績で小倉に入国した
細川忠興が築城した「唐造り」の天守を再現しているのですが、
再現する際に残念なことをしてしまうのです。
これはあくまで私見ですが、
この余計なことが「日本百名城」に選出されなかった原因なのではないかと思うのです。
その余計なこととは、一体何のことだと思いますか?
《続きはこちら⇒》復興時にやってしまった余計なこととは?
【九州地方の最新記事】













