参道とも言うべきかメインストリートの「大日大門通り」に静かに佇む
『足利尊氏公像』
へとご案内いたします!

中学校で歴史の授業を受けていれば、
『足利尊氏』の名前を聞いたことのない方はいらっしゃらないですよね?
言わずと知れた室町幕府(足利幕府)の初代征夷大将軍です。
『足利尊氏』のアウトラインは歴史の教科書に任せるとして、
実際に足利尊氏はどんな人だったんでしょう?
『足利尊氏』はこんな人?
足利学校の門は、位置や名称が江戸時代に入って何回か変わっているようです。正門は、学校門で、江戸中期に中門と呼ばれていました。主に日常使う門が、この裏門でした。と説明されています。
学校の裏に位置しないにもかかわらず、この門がなぜ裏門と呼ばれたか定かではありません。
間口八尺の薬医門で、屋根が切妻造の茅葺です。両脇に目板瓦葺の屋根をかけた袖塀が付いています。
発掘調査によって、砂利敷きの通路が門から主屋の玄関や脇玄関へと伸びている様子がわかりました。
足利学校の方丈の北と南それぞれに池の庭があります。この当時一般に行われていた書院庭園の形態をもつ築山泉水(つきやませんすい)庭です。と説明されています。
この庭は、湧き水をたたえ池の入り組んだ汀(みぎわ)と巨大な立石、それにかぶさる松が特色です。三つの峰をもつ築山は比較的高く、池の水面から3メートルほどもあり、池に映えてよく調和しています。
発掘調査の結果と江戸時代の絵図によって修復しました。この整備の資料として用いた絵図は、精密で色彩も美しいものであり、庭の築山やそれぞれ植木などは絵図により復原したものです。(江戸時代中期の姿に復原)
この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。