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2009年07月18日

足利学校〜裏門と衆寮

今回は足利学校の「裏口」

学校の裏口っていうと何だかグレーな感じがしてしまいますね…。
いやいや、『裏門(うらもん)』です。

裏門〜足利学校

足利学校の門は、位置や名称が江戸時代に入って何回か変わっているようです。正門は、学校門で、江戸中期に中門と呼ばれていました。主に日常使う門が、この裏門でした。
学校の裏に位置しないにもかかわらず、この門がなぜ裏門と呼ばれたか定かではありません。
間口八尺の薬医門で、屋根が切妻造の茅葺です。両脇に目板瓦葺の屋根をかけた袖塀が付いています。
発掘調査によって、砂利敷きの通路が門から主屋の玄関や脇玄関へと伸びている様子がわかりました。
と説明されています。

そうそう!
決して敷地の裏手の門ではないのに『裏門』って名前がついているんですよねぇ〜。
用途としては「通用口」に近かったようなので、『裏門』ってなったんでしょうかね〜?
勝手な推測です (^-^;

裏門〜足利学校

でも、足利駅方面から歩いて足利学校に来ると一番最初にお目にかかるが、この門『裏門』なんです。一番目立つ所にもあるにもかかわらず、『裏門』…面白いですな!



衆寮〜足利学校

これは当時の学生が書物を書き写したり、生活したりしたところです。
いわば「学生寮」ですね!
『衆寮』と説明されていました。

説明看板に下記のように記されていました。
衆寮は僧房または学生寮です。学生が寄宿し、あるいは遠くから通う学生が写本をするために泊まったと思われます。
桁行八間、梁間二間半、屋根は切妻造りで茅葺、外壁は上は土壁の漆喰仕上、下が板張です。内部は六畳の間に、一間の土間がついて一部屋になり、それが四部屋続く長屋となっています。
発掘調査の結果、堀の中から多数の灯明皿(とうみょうざら)が出土していることから、夜の闇の中でも灯明をともし、学問に励んだ様子をうかがうことができます。
(宝暦年間の姿に復原)


衆寮〜足利学校

内部の様子はこんな感じ。
この規模では、それほど多くの学生がここで寝泊まりすることは
できそうにないですね…。

最盛期の学生の数は3000人ということなので、これでは全然たりません。
大半の学生たちは近くの民家に寄宿していたみたいです。

この『衆寮』の近くには「菜園場」もあり、
学校の敷地内で自分たちが食べる分の野菜は
この「菜園場」でつくっていたみたいです。

敷地内には、「菜園場」の他にも「薬草園」も作られていたようです。


さて、次回の記事では足利学校内で最大の建物『方丈』へと
ご案内いたします。
お楽しみに!!

『足利学校〜方丈』はこちら

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【足利学校・裏門の場所】


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posted by pleasure1975 at 01:11| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 関東地方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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