天守閣に迫ります。

▲本丸からのぞむ『伊賀上野城』
これが『白鳳城』という雅名をもつ『伊賀上野城』の天守です。
確かに白く輝く美しい天守です♪
でも、この天守は慶長17年(1612)の暴風雨で工事中に倒壊してしまった
幻の「五層大天守」の天守台に昭和10年(1935)、地元の名士・川崎克氏が
私財を投じて復興再建した「模擬天守」なのです。
なので、実はこのお城、実に現代っぽい正式名称があるのです。
…
現在の『伊賀上野城』の正式名称は
『伊賀文化産業城』
といいます。
伊賀の産業陳列館としての役割も担っていたようです。
この城を復興再建した名士・川崎克氏は、前々回の記事でご紹介した
松尾芭蕉の生誕300年を記念して建てられた『俳聖殿』も自費で建てた、
故郷である伊賀上野を愛した政治家だったようですね、すばらしい!!
話を「伊賀上野城」に戻します。

▲想定上の5層だった伊賀上野城天守
これは1612年当時、城主であった藤堂高虎が建てようとしていた
5層の『伊賀上野城』の天守の図です。
今、建てられている模擬天守は3層3階です。
そして、外観も再建当時にアレンジされたものなのでしょう!
「入母屋破風」「切妻破風」「唐破風」を組み合わせた
美しい天守に再建されております。
倒壊してしまった幻の天守の様式を模倣してはいないようですが、
再建に際し、ひとつの「こだわり」があったようです!
それは、「鉄筋コンクリート造」ではなく「木造」にこだわったこと。
日本各地に再建されている模擬天守はそのほとんどが
鉄筋コンクリート造です。
同時期に再建されている『大阪城』も鉄筋コンクリート造です。
それをあえて、「桃山形式」の『木造建築』にしたというのは、
川崎克氏の強いこだわりを感じずにはいられません。

この美しい『白鳳城』という雅名をもつ『伊賀上野城』は
『日本100名城』にも選ばれています。
建物からその歴史を感じ得ることはできませんが、
城郭は築城の名手・『藤堂高虎』が縄張りをした遺構を見て回ることができます。
また、天守内の展示スペースには、歴史的価値のある資料が多く展示されてます。
というわけで、次回の記事では、
『伊賀上野城』の天守内をご案内したいと思います。
お楽しみに!!
- 伊賀上野城天守
- 『伊賀上野城』の天守の中には、「藤堂高虎」が「豊臣秀吉」から拝領した『唐冠形兜』も展示されています。また、5層にはおよばなまでも3層天守から見る「伊賀上野」の城下町の景色も素晴らしいです。
【伊賀上野城の場所】
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