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2011年06月24日

清水谷製錬所跡

明治時代に巨額の投資をして建設された『清水谷製錬所』の跡地です。
当時の最先端技術を導入した製錬所だったそうなのですが、
わずか1年半という短い期間で閉鎖されてしまったそうです。

清水谷製錬所跡
▲清水谷製錬所跡

現在は、山の斜面に何段もの石垣が残っている
その名のとおり「跡地」なのですが、
当時はこの斜面に建物が建てられていて、
斜面を利用して鉱石を上から下へ運びながら、
「銀」を製錬していたそうです。

清水谷製錬所跡
▲清水谷製錬所跡


このような大規模な施設を建設したにもかかわらず、
1年半で操業中止になってしまった理由はなんだったんでしょうか?



『清水谷製錬所』が閉鎖に追い込まれた理由は

『鉱石の品位が予想より悪く不採算となったため』

だそうです…。
今の時代にこんな事業を起こしたら大問題に発展しそうですね…。

なんと投資した金額は
現在のお金でなんと!『約20億円』とも言われています。

当時の最新式の製錬技術「収銀湿式製錬」という技術が投入されたことも
この巨額の投資金額になるひとつの要因だったのでしょう。

しかし、どうして!?
よく調べることなく着手してしまったのか…。

それはこんな背景があったのではないかと想像されます。

この『清水谷製錬所』の建設目的は
江戸時代初期に掘られた銀山最大の坑道『大久保間歩』の再開発だったと
言われています。

清水谷製錬所跡

ここからは私の想像(妄想)なのですが、
銀山最大の坑道である『大久保間歩』には
まだまだ取り残した銀が残っており、
しかも最新の技術を持ってすれば、
以前は製錬を諦めざるを得なかった質の悪い鉱石も
製錬して銀にすることができるのではないか!?

改めて断りますが、これは私の勝手な想像です (^-^;

でも、そんなことでもない限り、よく調査もしないて
建設着工するはずないですもんね…。


「お雇い外国人ではなく、
西洋文明を学んだ日本人の技術力で、
 銀山を再開発しようとした」


という大田市石見銀山課長の言葉が残っているようですが、
当時の方々の「石見銀山」にかける思いの強さも後押しして
いたのかもしれませんね。


さて、次回はここ「清水谷製錬所跡」から
トロッコ道を歩き、鉱山を採出していた場所まで
「仙の山」方面へ登っていきたいと思います。

次の記事:トロッコ道と選鉱場跡

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トロッコ道と選鉱場跡
清水谷製錬所から昔「トロッコ」が走っていた道をたどり、蔵之丞坑 で採った銀を選別するための「選鉱場跡」や「シュート跡」などの遺構まで、チョットした山道ですが歩いていくことができます。

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【清水谷製錬所の場所】


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posted by pleasure1975 at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国地方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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