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2008年01月17日

首塚

さて、昨日に引き続き本日も『八幡原史跡公園』です。

『首塚』なんて、若干背筋の凍るようなタイトルですが、チョットいい話というかエピソードがあるんです。知っている人もいると思いますが、『敵に塩を送る』って言葉の由来をご存知ですか?
実はこの言葉が生まれたのと大きな関係があるんです。この『首塚』は!!

八幡原史跡公園の首塚

ところで、『敵に塩を送る』ってどんな意味だか分かりますか??
敵対している相手であっても、その相手が苦境に立たされている時は助けてあげることを『敵に塩を送る』といいます。
「『敵に塩を送る』ようなまねしやがって!」なんて使われ方をしますよね。

この『敵に塩を送る』という言葉は、武田信玄が「今川氏」と「北条氏」から『塩留め』を受け、海に面していない信濃・武田領内は塩を取ることができず、領民は苦しんでいました。それを見た義を重んじる宿敵・上杉謙信は武田領民の苦しみを見過ごすことができず、わざわざ越後から信濃まで塩を送り、武田とその領民を助けたというエピソードから『敵に塩を送る』という言葉が生まれたのです。

ん?『首塚』は?? 何の関係があるの?

実は、上杉謙信がこの行動をおこす原因になったと言われるエピソードが、この『首塚』に関係しているのです。

時は永禄4年(1561) 9月10日の戦いの後、武田の武将で海津城主・高坂昌信(高坂弾正)が激戦場となったこの一帯の戦死者(6000人余り)の遺体を敵味方関係なく集めて、手厚く葬りました。その時の塚がこの『首塚』です。
これを知った上杉謙信は大変感激し、塩不足に苦しむ武田とその領民に対して塩を送り、その恩に報いたというエピソードが残っているんです。
その時の上杉謙信の言葉が「われ信玄と戦うもそれは弓矢であり、魚塩にあらず」だったそうです。

何ともいい話ですよね!
その時代に生まれた言葉が今もまだ使われて生きている。
この話(事実)を知ったとき、とても感動したのを憶えてます!


さて、明日は『八幡原史跡公園』の最終回です。お楽しみに♪






posted by pleasure1975 at 02:18| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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