MINIでいくMINIなオトコの放浪紀
Comming Soon!! ただいま準備中...
「ROUTE INDEX」
Comming Soon!! ただいま準備中...
「BLOG SKIN GALLERY」
「MINIなオトコの趣味の部屋」

2008年01月22日

山本勘助の墓

とうとう、今回の『山本勘助の墓』で31回続いた『武田信玄ゆかりの地』巡りの最終回を迎えます。昨年のGW、5月4日からスタートしてなんと8ヵ月もかかって全てを紹介することができました。

といっても途中、更新を怠っていた時期がありましたが (^-^;

甲府の『武田神社』から始まり、諏訪の『小坂観音院』『諏訪大社』、小諸市の『懐古園』など。そして、『八幡原史跡公園』、松代の『海津城址』を経て、
やはり最後を締めくくるのは、『山本勘助の墓』

今更だけど、『山本勘助』は武田二十四将の一人で、武田の五名臣の一人でもある。武田信玄の伝説的軍師としても有名であるが、本当に実在したのかは定かではない。

その『山本勘助』の墓が、長野県は千曲川のほとりにあります。

山本勘助の墓
↑山本勘助の墓


山本勘助の墓

上の写真の看板に記述されている『山本勘助』はこうです。


山本勘助は、三河国(愛知県)の出身、26歳より諸国を巡り修行し、天文・兵法・槍術・築城術など武芸百般を体得、44歳にして武田信玄の軍師となり数々の策略を立て、上杉謙信の攻撃に備えて築いた海津城 (松代城)の構築も手がけた。
1561年 (永禄4年)9月10日の激戦において、信玄に勧めた『きつつきの戦法』を謙信に見破られ、武田軍は一時苦戦に陥り、勘助は責任を感じ奮戦の後討死にした。


伝説の軍師『山本勘助』には、様々は説がありますが今も人々に語り継がれて、物語の中で生き続けてます。

NHKの大河ドラマ『風林火山』も終わってしまいましたが、また機会があったら違う角度で戦国時代の史跡巡りをしてみたいと思います。



次回は、ちょっとだけ北に足を延ばして、小布施の『北斎館』に行って来たので、そちらの町並などをご紹介します。お楽しみに♪



【地図】山本勘助の墓の場所は??
posted by pleasure1975 at 03:02| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月21日

真田邸(改修工事中…)

ちょっと『武田信玄ゆかりの地巡り』とは違うかもしれませんが、
今回は海津城の周辺に立地する『真田邸』についてです。

残念ながら、訪れた2007年5月時点では大改装工事中でした…。
この改装工事、平成24年までかかる予定のようです。。。
長いですねぇ〜。あと4年間はまともに見ることができません。

また4年後に長野に行く機会があったら寄ってみようと思います。

真田邸の門
↑真田邸の門

ね!門の向こう側に白い防護シートが見えるでしょ?
そう、こんな感じで建物全体を白い防護シートで覆ってしまっているため、建物は見えない状態なんです (涙)。
あまり行っても意味は無いかもしれませんが、こんな状態ですから改装中は無料で庭園内に入ることができます。

真田邸大改修の案内
↑真田邸大改修のスケジュールなどが記載されている案内板


ま、こんな感じで大した内容をお伝えすることができませんので、海津城並びに真田邸周辺の町並の紹介をします!

この町並のいたるところに真田の旗印である『六文銭』を見ることができます。

六文銭

そういえば、高速道路の高架の橋桁にも『六文銭』が書かれていたような気がします。

この松代には、『海津城』『真田邸』の他に『松代藩・文武学校』などがあります。いろいろな見どころがここ一体に集まっているので、結構楽しめます♪

文武学校
↑松代藩・文武学校

休憩所(松代)

上記のような無料で解放されている休憩所があって、歩き疲れたら休めるとことがあるというのはいいですね。

ぜひ、『海津城』に行ったら『真田邸』『文武学校』などにも足を延ばしてみてください!
さて、次はいよいよ今回の『武田信玄ゆかりの地巡り』の最終地である『山本勘助の墓』です。お楽しみに♪

【地図】真田邸の場所は??
posted by pleasure1975 at 01:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月20日

海津城(松代城)

今回は『武田信玄ゆかりの地巡り』の続編です。

『海津城』(松代城)

武田信玄が山本勘助に命じて作らせた城です。
作ったといっても、この地の在地土豪である清野氏の館を武田氏が大改修したとされています。

松代城の入口
↑松代城址の入口です。

松代城址案内板
↑松代城址の案内板です。

この案内板によると

松代城は、甲斐の武田信玄が越後の上杉謙信との『川中島の戦い』の際に、武田方の前進基地として築かれた海津城が始まりといわれております。
永禄3年(1560)頃に普請が完了したものと伝えられています。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後、城主となった森 忠政の頃、二の丸・三の丸を整備し、土塁を石垣に築きなおしたものと考えられています。
元和8年(1622)には真田信之が上田より移封されて以降、明治の廃城までの約250年間、松代藩真田家10万石の居城となりました。

松代城は、北側を流れる千曲川を自然の要害として作られた平城で、最奥部に本丸、南側の城下に向けて二の丸・三の丸・花の丸などの曲輪を構えておりました。
明治5年(1872)の廃城以降、建物は無くなったものの、昭和56年(1981)に本丸を中心とした旧城郭域の一部が新御殿とともに国史跡に指定されています。

という『海津城』(松代城)の説明が書いてありました。

松代城

松代城

松代城

今回は写真ばかりですね。
そうそう、この松代城の周りを人力車に乗せて回ってくれるサービスがありましたよ。

人力車サービス(松代城)

お城のまわりを一周で1000円でした。う〜むって感じですよね (^0^;
思い出にはなるかもしれませんが!


というわけで、『海津城』(松代城)に関してはこんなところです。
さて、次回は海津城周辺の町並と改修工事中だった『真田邸』についてです。
【地図】海津城(松代城)の場所は??
posted by pleasure1975 at 23:35| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(2) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月18日

執念の石

今回で『八幡原史跡公園』は最終回です。

『執念の石』です。

執念の石

この『執念の石』にも川中島の戦いでのエピソードがあります。
第四次川中島の戦いで起こった「武田信玄と上杉謙信の一騎打ち」は有名な話ですよね。その時に武田信玄の家臣である原大隅守虎胤(はらおおすみのかみとらたね)が、信玄のもとに駆け付け、上杉謙信から武田信玄を救いました!
その時に上杉謙信を撃ち逃したことの無念さから傍らの石を槍で突き通したと伝えられています。その石がこの『執念の石』です。

本当に槍を突き刺した跡のような穴が石の真ん中に開いています!
その真偽の程はわかりませんが、そんなエピソードのある石でした。

いかがでしたか?川中島古戦場である『八幡原史跡公園』。
今は長野市立博物館で「風林火山展」は開催されておりませんが、『武田信玄と上杉謙信の一騎打ちの像』『首塚』『執念の石』など川中島の戦い当時のエピソードが満載の史跡が沢山あります。
ぜひ一度、行かれてみてはいかがですか?

川中島合戦図
↑川中島合戦図


さて、次回は海津城址である『松代城』です。お楽しみに♪【地図】八幡原史跡公園の場所は??
posted by pleasure1975 at 02:29| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月17日

首塚

さて、昨日に引き続き本日も『八幡原史跡公園』です。

『首塚』なんて、若干背筋の凍るようなタイトルですが、チョットいい話というかエピソードがあるんです。知っている人もいると思いますが、『敵に塩を送る』って言葉の由来をご存知ですか?
実はこの言葉が生まれたのと大きな関係があるんです。この『首塚』は!!

八幡原史跡公園の首塚

ところで、『敵に塩を送る』ってどんな意味だか分かりますか??
敵対している相手であっても、その相手が苦境に立たされている時は助けてあげることを『敵に塩を送る』といいます。
「『敵に塩を送る』ようなまねしやがって!」なんて使われ方をしますよね。

この『敵に塩を送る』という言葉は、武田信玄が「今川氏」と「北条氏」から『塩留め』を受け、海に面していない信濃・武田領内は塩を取ることができず、領民は苦しんでいました。それを見た義を重んじる宿敵・上杉謙信は武田領民の苦しみを見過ごすことができず、わざわざ越後から信濃まで塩を送り、武田とその領民を助けたというエピソードから『敵に塩を送る』という言葉が生まれたのです。

ん?『首塚』は?? 何の関係があるの?

実は、上杉謙信がこの行動をおこす原因になったと言われるエピソードが、この『首塚』に関係しているのです。

時は永禄4年(1561) 9月10日の戦いの後、武田の武将で海津城主・高坂昌信(高坂弾正)が激戦場となったこの一帯の戦死者(6000人余り)の遺体を敵味方関係なく集めて、手厚く葬りました。その時の塚がこの『首塚』です。
これを知った上杉謙信は大変感激し、塩不足に苦しむ武田とその領民に対して塩を送り、その恩に報いたというエピソードが残っているんです。
その時の上杉謙信の言葉が「われ信玄と戦うもそれは弓矢であり、魚塩にあらず」だったそうです。

何ともいい話ですよね!
その時代に生まれた言葉が今もまだ使われて生きている。
この話(事実)を知ったとき、とても感動したのを憶えてます!


さて、明日は『八幡原史跡公園』の最終回です。お楽しみに♪



【地図】八幡原史跡公園の場所は??
posted by pleasure1975 at 02:18| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月16日

三太刀七太刀之跡

さて、今夜も『八幡原史跡公園』についてです。
今回はもう少し、「川中島の戦い」関連の史跡を紹介していきます!!
まずは『三太刀七太刀之跡』です。
これは「みたち ななたちのあと」って読みます。

三太刀七太刀之跡

武田信玄上杉謙信の一騎討ちの場所と伝えられていて、三度斬りつけ軍配団扇には七つの傷が残っていたことから、こう言われているのです。
なので近くには、武田信玄上杉謙信が一騎打ちをしている像が立っています。

この像は結構有名ですよね?

武田信玄と上杉謙信の一騎打ち

武田信玄と上杉謙信の一騎打ち2
↑武田信玄と上杉謙信の一騎打ち像

『三太刀七太刀之跡』の碑の近くに立っている看板に書いてある解説を紹介します。


永禄四年(1561) 9月10日、ここ八幡原を中心に上杉、武田両軍三万余の壮絶な死闘が展開された。上杉謙信は(中略)長光の太刀抜き放ち、名馬放生に跨がり戦況の進展に注目、乱戦で武田本陣が手薄になったのをみ、旗本数騎をつれ信玄の本営を強襲した。このとき、武田信玄は軍配を右手に持ち、この地で崩れかかる諸隊を激励指揮していた。この信玄をめがけて謙信はただ一騎、隼の如く駆け寄りざま、馬上より流星一閃、信玄は軍配で受けたが、続く二の太刀で腕を、三の太刀で肩に傷を負った。後にこの軍配を調べたところ刀の跡が七カ所もあったといわれ、この一騎打ちの跡を世に三太刀七太刀之跡という。


今から450年以上も前にこの地で武田信玄と上杉謙信が一騎打ちを行っていたのかと思うととても不思議な気分になりました。

ぜひ、長野に行く機会があったら『八幡原史跡公園』で三太刀七太刀之跡や武田信玄と上杉謙信の一騎打ちの像を見に行ってみてください!!




【地図】八幡原史跡公園の場所は??
posted by pleasure1975 at 02:44| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月15日

八幡原史跡公園

『武田信玄ゆかりの地』巡りも大詰めとなります。
今回は、長野県は『八幡原史跡公園』をご紹介致します。

ご存知の方も多いと思いますが、日本史上でも激戦のひとつに数えられる「武田信玄」「上杉謙信」が5回も戦火を交えた『川中島の戦い』の古戦場です。

今は『八幡原史跡公園』として整備されています。

大河ドラマ『風林火山』の影響とゴールデンウィークということも手伝ってか臨時駐車場までもが満車になるくらいの大にぎわいでした。

武田信玄と上杉謙信像
↑武田信玄と上杉謙信像

見てください。この人の多さ。
ちゃっかりガイドの話を聞いている集団に混じって説明を聞いてしまいました。

この公園も見どころが満載ですので、数回に分けて紹介していきます。
まずは、公園内の雰囲気を紹介します。

八幡原史跡公園その1

八幡原史跡公園その2

このように家族連れで遊びにきている人たちが多く、長野県民の憩いの場になっているみたいです。しかも、敷地内には長野市立博物館やプラネタリウムがあり、いろいろと楽しめる場所になっています。

八幡原史跡公園・長野市立博物館
↑長野市立博物館

昨年は大河ドラマ『風林火山・特別企画展』が開催されていました。
企画展の中では、第四次 川中島の戦いを再現したVTRが流されるなど、川中島の戦いを中心に大河ドラマ『風林火山』の背景を解説されていました。


次回は三太刀七太刀の像を中心に武田信玄と上杉謙信の戦いについて紹介していきたいと思います!!

悔いの残らない旅の計画のお手伝い!旅のお店の歩き方



【地図】八幡原史跡公園の場所は??
posted by pleasure1975 at 00:54| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月14日

荒砥城(二の郭・本郭)

今回も『武田信玄ゆかりの地』めぐりの記事です。
昨日の続きで『荒砥城』です。

長いのぼり坂の先には「二の郭」の入り口の門があります。
ここは大河ドラマ『風林火山』のロケ地になりました。

荒砥城・二の郭の門
↑荒砥城・二の郭の門

この「二の郭」には、見張り台の『櫓』『兵舎』があります。

荒砥城・二の郭の兵舎
↑荒砥城・二の郭の兵舎

櫓から千曲川を臨んだ写真と櫓から二の郭を見た写真です。

荒砥城・櫓から見た千曲川
↑荒砥城・櫓から見た千曲川

荒砥城・櫓から見た二の郭
↑荒砥城・櫓から見た二の郭

そして「二の郭」の上には「本郭」があります。
この「本郭」には館と兵舎があります。
中世の城と呼ばれるものは、こんな感じだったんでしょうかね。
甲府の『躑躅ヶ崎館』もそうでしたし。

本郭から見た二の郭の櫓です。

荒砥城・本郭から見た櫓
↑荒砥城・本郭から見た櫓

最後に、『荒砥城』の歴史をチョットだけ!

荒砥城は今から約400年前、そう全国で戦が頻繁に行われていた「戦国時代」に村上氏の一族である「山田氏」によって築かれた城です。郭(くるわ)が連なるように並んでいたところから「連郭式山城(れんかくしきやまじろ)」と呼ばれているそうです。

山を下りると『戸倉上山田温泉』があり、温泉街があります。
時間に余裕がある方は、温泉を楽しんでもいいですね♪

さて次回は、あの有名な『川中島の戦い』の古戦場として現在は『八幡原史跡公園』です。大河ドラマ『風林火山』が人気絶頂だったのも手伝ってか『風林火山』一色でした。お楽しみに。

悔いの残らない旅の計画のお手伝い!旅のお店の歩き方










とっておきの旅、いっぱい。PTSトラベルナビ

【地図】荒砥城址の場所は??
posted by pleasure1975 at 00:36| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月12日

荒砥城

本日は『武田信玄ゆかりの地』巡りネタです。

さて今回は長野県千曲市の『荒砥城』です。
今は「千曲市城山史跡公園」として復元され一般公開されています。

荒砥城入り口
↑千曲市城山史跡公園の入り口

千曲市城山史跡公園の案内図
↑千曲市城山史跡公園の案内図

これ、駐車場のところにある案内板なんですけど、『二の郭まで280m 徒歩8分』って書いてあります。普通、人の歩く速度は毎分80mっていいます。その計算で歩くと8分で600〜640mは歩けるはずが、280m?Why?って感じですよね?
いや、それだけとても急な坂道なんです!

残りの距離表示

こんな表示が坂道の道路に埋め込まれるほどに (^0^;


そして、そんな急坂を登り終えたその場所に復元された荒砥城の二の郭へ入る門があります。復元されたものなので、奇麗でした。

荒砥城・二の郭の門
↑二の郭の門


荒砥城址でも『懐古園』の時と同様で沢山写真を撮ってきたので、何回かに分けて紹介していきます。

悔いの残らない旅の計画のお手伝い!旅のお店の歩き方



【地図】荒砥城址の場所は??
posted by pleasure1975 at 21:53| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月10日

生島足島神社

ひさしぶりに『武田信玄ゆかりの地』巡りネタです。

前回は長野県小諸市の『小諸城址・懐古園』の紹介でした。
今回はその懐古園から西へ22kmくらいの場所にある
長野県上田市は『生島足島神社』に足を運んでみました。

生島足島神社の東鳥居


この『生島足島神社』は人と大地に生命力を与える「生島大社」と、人の願いに満足を与える「足島神社」の二神をまつり、霊験あらたかと伝えられます。
また、武田信玄上杉謙信との戦いに際し奉じた直筆の願文(重要文化財)が現在も残されている。詳しくはこちら


生島足島神社の東御門

生島足島神社の御神橋
↑この日、生島足島神社では結婚式が行われておりました。

生島足島神社の本殿


以上、『生島足島神社』でした。
次回の『武田信玄ゆかりの地』巡りは『荒砥城址』をご紹介致します。
お楽しみに♪

★悔いの残らない旅の計画をしたいなら必見!
旅のお店の歩き方
posted by pleasure1975 at 03:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月06日

懐古園(最終回)

無事、年始の合宿を終えて帰ってきました。
いやぁ〜、さすがは富士山麓…寒かったです。。。(^0^;
でも、雪化粧した富士山は本当に奇麗でした♪


さて、今回は『武田信玄ゆかりの地めぐり』に戻ります。
ブログスキンカスタマイズの方法については、また時期を見てシリーズものとして紹介していきますので、お楽しみに!!

今回で4回目の記事になる『小諸城址・懐古園』も今回が最後になります。
一カ所で4記事ってのは、なかなかないですね。
それだけ、見どころ満載ですよ。
「島崎藤村」「小山敬三」に興味がある方には、更に魅力的な場所になると思います。

まずは、懐古園内でも一位二位を争う見晴らしのよい絶景ポイントです。

懐古園内の水の手展望台
↑水の手展望台

その『水の手展望台』から臨む「千曲川」です。

水の手展望台から望む千曲川
↑水の手展望台から臨む千曲川

次は、懐古園内にある樹齢500年は超えるであろう「大ケヤキ」です。

懐古園内の大ケヤキ
↑大ケヤキ

子供が小さく見えますね。本当に立派なケヤキの木でした。
この大ケヤキの向こう側に見えるのが、『藤村記念館』です。
小諸時代の藤村の作品・資料を中心に多数展示されています。
『藤村記念館』のオフィシャルホームページはこちらから!

島崎藤村像
↑ 島崎藤村像

この『藤村記念館』では、島崎藤村の作品の読み方・味わい方を専門家が解説してくれる「藤村文学講座」がなんと無料で開催されているようです。
今年は、2月16日に「藤村集」及び「食後」というテーマで開催されるようです。
詳しくは『藤村記念館ホームページ』をご覧ください。
多分、『藤村記念館』は懐古園内にあるので、懐古園入園券が必要になると思いますが。


この『藤村記念館』以外に『小山敬三美術館』などの見どころ満載です。
『小山敬三美術館』のホームページはこちら

さて、次回の『武田信玄ゆかりの地』は長野県上田市の『生島足島神社』です。
お楽しみに!




【地図】小諸城址・懐古園の場所は??
posted by pleasure1975 at 23:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月04日

懐古園(園内みどころ2)

今回も引き続き、小諸城址・懐古園のみどころを紹介致します。

今回で小諸城址・懐古園については3記事目ですね。
ひとつの場所について、これほどの記事を残すのは、この「懐古園」と飛騨高山の「古い町並」くらいでしょうか?それくらいみどころ満載でよい場所でした。

さて、今回は『懐古神社』についてです。

小諸城址・懐古園内の懐古神社

この懐古神社の歴史は浅く、創建されたのは明治13年4月だそうです。
廃藩後に荒れ果ててしまった小諸城跡を整備して『懐古園』とする時に、本丸の東北に城の鎮守神として祀られていた「天満宮」「火魂(荒神)社」の二社と藩主・牧野公歴代の霊とを合祀したものです。
また昭和62年にも改築が行われています。

祀られている「御祭神」は
・藩主牧野公歴代の霊
・菅原道真(天神様)
・火之迦具土命(荒神様)

この懐古神社内には、あの山本勘助が愛用していたと言われているあるものがあるのです。今回、この懐古園を訪れた理由の一つとして、このものが大きな影響を与えていたのは間違いありません。

それは…



鏡石

そう、『鏡』です。
鏡といっても石の表面を研磨して鏡面にした『鏡石』ですが、これが本当の鏡のように姿を写し込んでいました。
「鏡石」のとなりに『また隕石とも言われている』と記載されていましたが、その真偽のほどは…(^_^;)

でも、山本勘助がこの鏡石で己の姿を見ていたのだなぁと思うと、チョット感慨にふけるものがありました。若干、年寄りっぽい発言ですが…。



この懐古神社、天守台の上に建てられていて、西側の「馬場」からみると、こんな立派な天守台の上に建っていることがわかります。

懐古園内の天守台1
懐古園内の天守台2

昔の人は凄いですよねぇ。これを重機を使わずに作るのですから…。

さて、今日はここまでです。
次回は、武田信玄や山本勘助などとは関係が薄くなってしまうかもしれませんが、この他の懐古園内のみどころを紹介させていただきたいと思います。
お楽しみに♪


ところで、皆さんは旅の計画・準備はどのようにされていますか?
インターネットという便利なものがあって、ホテルの予約やら観光地の情報収集やら簡単に行うことができます。しかし、すべての情報をネットや書籍から取得するのはなかなか骨の折れる作業です。
こんな経験ありませんか?

私「先日、○○○に行ってきたんだよ。」
友達「あぁ、そこって◆◆が名所らしいね!」
私「ん?◆◆…?何それ?」

旅行から帰ってきて判明する「絶景スポット」「名産」「グルメ」…。
行く前にわかっていたら…


なんてこと。

そういう場合は、プロに聞いてしまうのが一番です。
でも、どこでプロに相談すればいいのかわからない…。
そんな人にオススメのサイトを見つけました。
その名も『旅のお店の歩き方

是非、このサイトを参考にしていただいて、悔いの残らない旅を!【地図】小諸城址・懐古園の場所は??
posted by pleasure1975 at 04:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月03日

懐古園(園内みどころ1)

さて、昨日の『懐古園』の続編です。
今回は懐古園内の写真と共に、それらの由緒と感想を紹介していきます。

最初にお見せするのは『紅葉谷』とそれにかかる橋『黒門橋』です。

懐古園の紅葉谷
↑懐古園内の紅葉谷

懐古園の黒門橋
↑懐古園 紅葉谷にかかる黒門橋

さすがは地形を巧みに利用し、周囲に土塁を巡らす程度のものだったと想像される山本勘助が作った小諸城です。地獄谷、北谷、弥津谷、もみじ谷、南谷など深く刻まれた谷がそれらを物語ってます。それらが自然の要害として小諸城の堀割として機能したのでしょう。

続いては『二の丸跡』です。
懐古園・小諸城の二の丸跡
↑二の丸跡

この『二の丸跡』以外にも『本丸跡』などが残っていて、山本勘助生涯の傑作と言われる縄張りを実感することができます♪
ぜひぜひ、山本勘助が築いた『中世の城・小諸城址』である『懐古園』に皆さんも足を運んでみてはいかがでしょうか?

昔の城郭を偲ぶだけではなく、四季折々の美しい自然美を楽しむことができると思います。次は、『小諸城址・懐古神社』をご紹介します。
お楽しみに♪


【地図】小諸城址・懐古園の場所は??
posted by pleasure1975 at 00:24| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月02日

懐古園

2008年の最初の記事は長野県小諸市の『懐古園』についてです。
『武田信玄ゆかりの地』巡りの続きで、茅野市の『杖突峠』の次に訪れた場所です。

懐古園・三の門


白鶴城、酔月城の美しい別名をもつ小諸城は、武田信玄が山本勘助と馬場信房に命じて築かせた平山城です。もともと、城として利用されていたようですが、現存している城跡の元になっているのは、山本勘助の縄張りだと言い伝えられています。

新緑の中の懐古園・三の門
↑新緑中の『懐古園・三の門』

今、城跡は『小諸城址・懐古園』として整備されていて公開されています。
今回旅する中で一番見所の多いスポットでした。
ついつい2時間近く、この懐古園で時を過ごしてしまいました。
園内には、小諸神社や本丸跡などの史跡の他に、「藤村記念館」「徴古館」「郷土博物館」「小山敬三美術館」「動物園」が点在していて見所満載です♪
これら全ての施設に入館することができる『共通券』が大人500円、子供(中学生以下)200円で購入することができます。結構、お買い得です。

『懐古園』の開園日時は、
◆3月中旬〜11月末まで無休開園  午前8時30分〜午後5時00分
※休園日
12月〜3月中旬まで毎週水曜日
年末年始(12月29日〜1月3日)
(遊園地12月1日〜3月中旬)

懐古園のオフィシャルHPはこちらです。
http://www.city.komoro.nagano.jp/kankou/index.html


大型の駐車場が用意されているので、車で行かれても大丈夫ですし、鉄道だと「しなの鉄道」又は「JR小海線」の『小諸駅』から徒歩10分の場所にあるので、簡単にアクセスすることが可能です。

園内の様子や「島崎藤村記念館」や「小山敬三美術館」などについては、また後日改めてご紹介致します。


【地図】小諸城址・懐古園の場所は??
posted by pleasure1975 at 02:02| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月31日

杖突峠

さて、今回は武田軍が伊那攻略に活用した軍用ルートのひとつとして有名な『杖突峠』です。長野県伊那市高遠町と茅野市の境界にある峠で標高は1247mとのこと。

杖突峠から見た諏訪湖

↑この写真は杖付街道(国道152号)沿いにある「峠の茶屋」の展望台から撮った写真。この展望台、他のサイトなどを見ると無料って書いてありますが、私が行った時は有料だったような気がします。

杖突峠から八ヶ岳を一望

↑杖突峠の展望台から東方、八ヶ岳方面を望む。ちょっとガスってますね。もっとクリアだったら良かったんですが…仕方ありませんね。

杖突峠から甲府方面の望む


高遠城を足早に見学した甲斐があって、日没まえに杖突峠の展望台に到着することが出来ました♪もう少し遅かったら、日没後の夜景を楽しむ感じでした。
それもよかったですが、明日は朝一で小諸市の『懐古園』を見たかったので、ここから70km弱ある小諸市街に向けて出発です。
夜景を見ているところではありません。


さぁ、というわけで次は小諸市の『懐古園』についてです。
『懐古園』は今回の旅の中で一番見所があって、良いところでした。
年始一発目の更新は『懐古園』からです。お楽しみに♪



【地図】杖突峠の場所は??
posted by pleasure1975 at 06:02| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月30日

高遠城

『由布姫』のお墓がある建福寺からほど遠くないところに「高遠城址」があります。

この高遠城は諏訪氏一門の高遠氏が居城としていた城です。
その後、武田信玄が攻め落とし、信濃への進出拠点となります。
天文16年(1547)に山本勘助や秋山信友に命じて、大規模な改築した平山城で、のちに武田勝頼が城主となります。

さて、現在は桜の名所として有名な公園になっているみたいです。
確かに凄く桜が奇麗なようですよ。
今回は桜の季節ではなかったので、残念でしたが次回は桜の季節に訪れたいと思います。

こんな石碑が建っているくらいです。
『天下第一の桜の碑』だそうです。
「天下第一の桜」の碑

高遠城址公園内の案内板です。
高遠城址公園の案内図


結構広くて、いろいろ見所がある感じでした。
がしかし、時間の関係でゆっくり見ることができませんでした。
日が落ちる前までに『杖突峠』に行きたかったので…。

簡単に場内の写真を紹介します。

◆高遠城の問屋門
高遠城の問屋門

◆高遠城の桜雲橋
高遠城の桜雲橋

◆高遠城の太鼓櫓
高遠城の太鼓櫓
↑ここから眺める桜は奇麗そうでした♪


駐車場は結構、多く用意されています。
桜シーズンの花見に備えてでしょう。
桜シーズンでなければ、車で行かれても大丈夫だと思いますよ。


【追記(2009年4月)】
「車で行かれても大丈夫だと思いますよ」なんて書いていますが、
そんなことはありませんでした。
午前6時前から駐車場を目指す車が列を作ります。。。

↓詳しくはこちらの記事をご覧くだされ↓
天下第一の桜〜高遠の桜

桜の咲く季節に行ってきました!
ものすごく綺麗でした!
さすがは「天下第一の桜」と呼ばれる
だけのことはあります!!

記事はこちら↓
天下第一の桜〜高遠の桜

【地図】高遠城址の場所は??
posted by pleasure1975 at 04:14| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月29日

由布姫の墓 (建福寺)

さて、今回は諏訪湖より35kmほど南下した伊那市高遠町にある由布姫の墓がある臨済宗大宝山建福寺に行ってきました。先日、ご紹介した『小坂観音院』は由布姫の供養塔でしたね。

『由布姫の墓』建福寺


こちらにあるのが、武田勝頼の母で諏訪御料人であるまたの名を『由布姫』『湖衣姫』のお墓と言われています。武田勝頼が高遠城の城主となった時に『由布姫』もこの高遠の地に移られているようです。

由布姫の墓所


「乾福寺殿梅巖妙香大禪定尼」

これが『由布姫』の法名です。
改めて、『由布姫』がどんな生涯を送ったとされているのか?
簡単に概略を説明します。

諏訪頼重の息女で、諏訪頼重が武田信玄に滅ぼされた天文11年(1542)に若くして武田信玄の側室とされます。天文15年(1546)に甲府で武田勝頼を生んでいます。
25歳の若さで亡くなっているとされているので、武田勝頼を出産したのは15歳の頃と推測されます。昔はそうだったのでしょうか?今では信じられませんね。

永禄5年(1562)から元亀2年(1571)までの9年間、高遠城主であった武田勝頼は亡き母『由布姫』の供養に努め、元亀2年11月に大龍山臨済寺の鉄山和尚を招来して17回忌の法会を高遠城で執り行っているようです。


静かなお寺でした。
『由布姫の墓』建福寺

車で行かれる方はご注意ください。
お寺に続く道はとても狭く、急勾配です。また途中でUターンできる場所も限られています。下の写真のようにお寺のすぐ近くのスペースに車を停めることができれば良いですが、他の車が停まっていたら最悪な事態になります。
急勾配の狭小道路をバックでおりなくてはなりません。

建福寺とMINI


大した距離ではないと思いますので、JRバスのバス停「高遠駅」付近に駐車して歩かれた方がいいかもしれません。

さて、次は山本勘助が武田信玄の命を受け、大規模な改築を行ったと言われる『高遠城』についてです。




【地図】建福寺の場所は??
posted by pleasure1975 at 22:48| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(2) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月28日

諏訪大社下社秋宮

昨日に引き続き、武田信玄ゆかりの地ツアーの続きです。
『高島城』と同じく、あまり武田信玄や山本勘助とは関係がなさそうですが、
諏訪大社上社本宮にも行ったので、下社秋宮にも。
という訳で、『諏訪大社下社秋宮(すわたいしゃしもしゃあきみや)』の話題です。

話題といっても大した話はできません。
写真を中心に『諏訪大社下社秋宮』の雰囲気を紹介できればと思います。

それでは、まず鳥居のところから順に写真をご覧ください。

諏訪大社下社秋宮


次は、『神楽殿』です。

諏訪大社下社秋宮の神楽殿
正面に飾られている大注連縄(おおしめなわ)が凄いです!!


次は、『弊拝殿』です。

諏訪大社下社秋宮の弊拝殿
この『弊拝殿』は神楽殿同様、国の重要文化財に指定されています。

次は、『弊拝殿』の四隅も配置されている「御柱」の1本です。
4本の中でも一番大きい柱がこの『秋宮一之御柱』です。
諏訪大社下社秋宮の御柱


車で行かれる際は、駐車場が十分に用意されてない感じでして、
駐車するのが体験かもしれません。
なるべく車を利用しないで行かれることをオススメします。


さて、次は小坂観音院の時にも登場した由布姫の墓所である。
長野県伊那市の高遠町にある建福寺を訪れます。
次からは結構、風林火山の登場人物にゆかりのある場所ばかりです。
お楽しみに♪



【地図】諏訪神社下社秋宮の場所は??
posted by pleasure1975 at 02:43| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月27日

諏訪の浮城『高島城』

諏訪の浮城『高島城』に行ってきました。
このお城の築城が天正18年(1590)から慶長3年(1598)であることから、1521年から1573年を生きた武田信玄とは全く持って関係はないかもしれませんね。

でも、どうせ諏訪まで足を運んだので、諏訪の浮城『高島城』に行ってみました。

この城の歴史は、慶長6年(1601)から270年間、諏訪氏の居城として、その威容を誇ってました。
しかし、明治4年(1871)の廃藩置県から4年、明治8年(1875)に天守閣は撤去されてしまいました。それから約100年が経過した昭和45年(1970)に諏訪市民によって高島城は復興されたそうです。

高島城

高島城(冠木門と冠木橋)
↑高島城の冠木門(カブキモン)と冠木橋(カブキハシ)


なるほど、復興されてから37年なんですね。
ちなみに、この天守閣は入場することができます。
基本的には年中無休のようなんですが、門のところに「臨時休館のお知らせ」という貼り紙が貼ってあったので、行かれる際にはチェックしてからの方がいいかもしれませんね!

天守閣の入場料は「大人:300円、小人:150円」です。
開館時間は午前9時から夏は17時半、冬は16時半のようです。
※入場は閉門の30分前となっているので、夏は17時、冬は16時に入館しないと入れないってことですね。お気をつけ下さい。
※休日に車で行かれる方へ。隣接する諏訪市役所の駐車場が無料で解放されてました♪あれはイベントをやっていたからかな?すみません、保証はできません。

さて、いよいよ入館です。

高島城天守閣の入り口

天守閣の中には高島城の歴史、北斎関連の資料などが展示されていました。
そして、大河ドラマ『風林火山』が放映されていることもあって、小日向文世がドラマで使用していた「諏訪頼重」の衣装や由布姫の衣装が展示されてました。

諏訪頼重の衣装

続いては、天守閣から見た「諏訪湖」と「二の丸公園」の写真をご覧ください。

高島城から見た諏訪湖

高島城天守閣から見た二の丸公園


諏訪湖が結構、遠くに見えますね。
昔、この高島城が完成した頃は諏訪湖に突き出した水城でした。
しかし、江戸時代に諏訪湖の干拓が行われて、現在の姿になり、水城の面影はありません。今は遠くに見える諏訪湖がその当時は眼下に広がっていたんですね。

この高島城は今でこそ水城の面影はありませんが、日本三大湖城の一つとして数えられているそうです。
★日本三大湖城
松江城(島根県松江市)、膳所城(滋賀県大津市)、高島城(長野県諏訪市)

機会があったら他の湖城にも行ってみたいものです。
さて、次回の武田信玄ゆかりの地めぐりツアーは『諏訪大社下社秋宮』です。

お楽しみに。
posted by pleasure1975 at 02:17| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月24日

小坂観音院

本日は武田信玄ゆかりの地巡りの続きです。

直接、武田信玄とは関係ないかもしれませんが、
井上 靖著の『風林火山』で『由布姫』として登場する
武田信玄の側室で武田勝頼の母である
諏訪御料人が過ごし死去したと設定されている『小坂観音院』
お邪魔してきました。

小坂観音院入口

小坂観音院の位置は、諏訪湖の西側に位置した岡谷市の
小高い岡の上にあります。
小坂観音院から見下ろす諏訪湖はきれいでしたよ♪

小坂観音院から見た諏訪湖

この小坂観音院にはある墓は、一説によると
井上 靖著の『風林火山』の設定により、
現代になってから建てられた物であるとも言われています。

その墓はこの先にあります。
この上に由布姫のお墓が…

そして、これが現在になって建てられたという由布姫のお墓です。
由布姫の墓

その隣には、「由布姫由来記」と書かれた石碑がたってます。
由布姫由来記


本当の墓所は「長野県伊那市高遠町の建福寺」にあると聞き、
足を運んできました。
由布姫の墓所


この建福寺については、また日を改めて、ご紹介します。


この謎多き人物、『諏訪御料人』またの名を『由布姫』、『湖衣姫』は
「尋常隠れなき美人」と称され、現在まで伝えられております。
実際はどんな人だったんでしょうね?


さて、次回は諏訪湖につきだした水城で『諏訪の浮城』と呼ばれていた
『高島城』をご紹介します。お楽しみに♪
posted by pleasure1975 at 02:28| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 武田信玄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ページTOPに戻る

Real Time Web Analytics
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。